しゃけ屋さんのいろいろなおはなし

おいたちとかハンドメイドとかにゃーすけとかetc…

とりあえずおいたちw

とりあえず

作品をつくるひとがどんなひとか知ってもらおうとw

 

最初覚えてるのは

おばあちゃんが5歳くらいのときに亡くなったらしい

(末期がん)

このとき食堂のカレーが美味しかった

 

まずうちはとてもまずしかった

暮らしのかたちは

おじいちゃんと、わし産んだひとの3人家族

つまりひとりっこ

(このときは父親は事故で亡くなったと聞かされてた)

遊んでくれたり

川で釣ったさかなを捌いてるのみたり

わがままで泣いたり

全部おじいちゃんがお世話してくれた

ぼくはおじいちゃんがつくる具無しのオムライスが大好きだった

というか

家庭の味はこれしかいまも知らない

おじいちゃんはカブで2人乗りしてよく川へ連れて行ってくれた

とても可愛がってくれた

おじいちゃんは優しかった

産んだひとはぼくと喋らなくて

イライラしたときの口癖が

「施設怖いよ!!言うこと聞かないと施設入れるよ!!」

だった

だからとても怖かった

今考えたらこの時から木材を釘でトントンやったり

なんか作ってたw

学校は大嫌いだった

虐められてたから

でもそれは実はぼくというか

産んだひとに原因があって

「教えてもらってない」

すべてこれだった

 

髪のセットも

制服の正しかたも

なにも教えてもらってないからもちろんできない

そりゃあ多感な年頃に寝癖だらけで学校行ったらいじめのターゲットになるのは当たり前

おじいちゃんは男性だからわからない

それでも小学校まではなんとか行けたけど

中学になるとエスカレートするとともに

おじいちゃんが、たぶん脳梗塞になって上手く言語が話せなくて身体が自由に動かせなくなる病気になって

産んだひとが救急車呼んだ

ぼくはよくわからなかったけど

おじいちゃんがとてもこわいひとになったとしばらく錯覚してた

おじいちゃんは入院した

つまりお家に帰ると産んだひとしかいない

とても怖い

なので唯一のお友達だったお家にずっといた

(残念ながら、なぜかそこのごはんの味は覚えてない)

ずーっとゲームやってた

産んだひとは迎えにもこなかったし連絡もないので

お泊まりやお風呂とかも全部そこでしてた

そんなとき

突然産んだひとが

「家の改装したから」って連れてかえられた

かえったらおうちがすこし綺麗になってたけど

大人たちが大勢美味しそうなお寿司やいろいろな何かを食べてお酒を飲んでた

そして産んだひととおとなたちは全員どこかへ行った

(たぶん二次会とかだと思う)

ただ産んだひとは一言

「これからごはんは隣の喫茶店でつけで食べなさい」

綺麗になったおうちにひとり

でもテーブルの上はぐちゃぐちゃ

仕方ない

片付けというものを「教えて」もらってないからできない

お風呂もなかなか入れない

入れてもシャンプーとかを買うことを「教えて」もらってないしお小遣いもない

それから

学校のせんせーが毎朝チャイムを鳴らしにきた

出なかった

そのうちクラスのいわゆる上級なひとたちまでチャイム押してくるようになった

出なかった

正確には出れなかった

このころ

さすがに遊びたい盛りだったので

よなかひとりで隣の大きな駐車場でボール遊びしたり

深夜まで寝れなくて3時くらいまで起きてたと思う

ある日ひとりでくらしてたら

野良猫さんが訪れてきた

ぼくはそのこと友だちになった

まいにち楽しかった

この時やっと「調べる」ことを覚えた

でもこのころ便利な電子機器などなくて

お友達を装って近づいてきたひとにねこさんに必要なものを聞いたりして

なんとかくらしてた

 

そして産んだひとが突然帰ってきて1泊したのち

「いまから〇〇県いくよ」

いやいやついていった

そしておじさん(当時27歳)がいた

へんてこな服装だった

産んだひとが一言

「このひとと結婚するからお父さんて呼びなさい」

…ふーん

あなたの人生だからどうでもいいけど

父親というものを「知らない」のに

どうやって呼ぶのかわからなくて

しばらく「おじさん」て呼んでた

 

そしてここら辺記憶が曖昧なんだけど

しばらくおじさんと産んだひととぼくと

おじさんの家にしばらくいた

 

でも入院してるおじいちゃんとねこさんがとても気になって

どうやって帰ったかわからないけどおうちに帰った

 

それから産んだひとは全く帰ってこなくなり

隣の喫茶店のひとと喧嘩したらしく

ぼくのごはんがなくなった

なのでしかたがないので

なんかいろいろ言われても給食を食べに学校に行った

 

それから半年くらい

気づいたら10日に1回くらい机の上にぽんと5000円置かれてる生活になった

 

なんかよくわからないけど

ゲーセンもいけるし

ミニ四駆も買えて改造出来るし

ごはんも買えるし待っててくれたねこさんのごはんも買えたし

おじいちゃんにも会いにいけてぼくなりに幸せだった…のだけど…

ある日ぼくは倒れた

(これが人生を左右する大きな原因になった)

 

とてもしんどい

動けない

みかんとりんごがどうしても食べたい

隠してた500えんがあった

それを握りしめて自転車を漕いだ

案の定倒れた

だれかが救急車を呼んだ

そこからしんどすぎて意識があまりないけれど

採血の結果が異常すぎて

耳から血をとったのと

点滴を4本したのは覚えてる、楽になったから

点滴中に産んだひとがきた

「あした、大きな病院に変わる。入院」

(そのあとぼそっとまたお金がかかる…と)

 

正直しばらく学校行かなくていいんだーと思った

 

それでなんかよくわからないけど転院した

なぜか簡易トイレが置かれてそとに出れない

点滴してないとしんどい

食欲はまったくなく2週間くらい食べれなかった

ようやく口にできた重湯は美味しかった

病名はA型肝炎B型肝炎かの軽いほうらしい

(わすれたw)

すこし元気になって、点滴も少なくなってきた頃に産んだひとがきた

そして

「たまたまお母さんの昔のクラスのひとにあって、実家売ることにしたから」

ぼくは???だった

おじいちゃんは??

ぼくはどこに住むの??

お友達のねこさんは??

産んだひとが

「しばらくそのひとの家に住みこみだから転校もするよ」

怖かったけどはじめて反抗した

「いやだよ、おじいちゃんとねこさんどうなるの??」

産んだひとが

「おじいちゃんは最近脱走して病院に迷惑だから遠くの病院にかわるし野良猫なんかほっときなさい」

立て続けに

「家を売るのだからお金持ちになるんだよ」

当時のぼくはお金なんてどうでもよくて

産んだひとと暮らすのがほんとに嫌だった

それから転校して

今はもう廃校になってる中学に転校した

中2だった

その一緒に暮らすひとの構成は

ものすごい太ったおじさん、若いトゲトゲした奥さん(??)とそのこども??

そのひとたち+産んだひと、おじさん(父親)、ぼく

だった

基本的に太ったおじさんとうちのおじさん(父親)は太ったおじさんが経営してる喫茶店にいた

(細かくかくとバレるので端折って書きます)

なんかおかしなおうちだった

ぼくは学校に行かなくても怒られなくて

朝から晩までだいたい毎日そのこどもの面倒を押し付けられた

奥さんと産んだひとは

毎日パチンコやら買い物やら遊んでた

ぼくはいつも空腹だった

だってそこの奥さんが

「このごはんはこどもの分だから食べないで」って

こどもみなきゃいけないから給食食べに学校もいけない

唯一よるに産んだひとがなんかパンとか買ってきてくれてた

こどももやっぱりお母さんが恋しくて

寒くても窓をあけて

「お母さんまだかなー」

みたいな会話をずーっとしてた

 

ある日産んだひとが突然口にした言葉

「夜逃げするよ」

ん???

なに???

とにかく訳がわからない

「なんで??」

って聞いてみた

「契約書やられた、家を取られた、お父さんも給料も出ずただ働き」

(今思えば、反社関連のたまり場の世話係だったぽい)

 

そして深夜に車にほとんどない荷物を積んでその家を出た

ぼくはぼけーっと

これからどこにいくんだろーなーって思ってた

 

着いたところはおじいちゃんの入院してる病院の近くのパチンコ屋さんの寮

四畳半で風呂なしシャワーのみ、トイレ共同

ずーっとじゃらじゃらパチンコ玉の音がうるさいところ

(下がパチンコ屋さん)

そして

中3の二学期か三学期にまた転校だった

(いま反社関係のかたのおなまえ思い出したけど伏せます)

まずなにもない

でもそこの中学は少し優しくて中古の制服をくれた

(体操服はなくて前の中学のものだった)

でも…くれたけど全部ぶかぶかで着れなかったから

結局前の中学のをしばらく着てた

おじさん(父親)、ぼく、産んだひとと四畳半…

とても苦しかったのを覚えてる

そしてはじめて学校に無理やり行かされた

理由は

「余った給食を持ってこい」

だった

だから通った

でもこのころからあまり新しいものを食べてなかったので食わず嫌いがおおく

ほぼ口を付けず、おじさん(父親)と産んだひとに渡してた

そこのパチンコ屋さんの定員のめがねのおじいちゃんが

ときどきパンとかゆで卵をくれた

美味しかった

四畳半で3人では寝にくかった

シャワーもいつ男性がくるかわからないので早くすませた

パチンコ玉の音がしんどい

おなかはいつも空いてた

(中学卒業時に28kgだったのは覚えてる)

(あとこれでもだいぶ端折ってます)

続く